マキャベリ「君主論」
高校生の頃ドハマりした、マキャベリ熱再燃、っつーことで、
こないだ文庫化した塩野先生の「わが友マキァベリ」と、
マキャベリ「君主論」再読。
マキャベリの言説は、飲み屋で政治談議をするおっさんの言葉、的にかるーく読んでも面白い。もちろん、真面目に読んでも最高ッ。
マキャベリの文体ってね、もうすっごく格好いいんですよ。
すごく理性的な文体なのに、押さえきれない熱量みたいなのが満ち満ちてて。
文体がエネルギッシュで、読んでるだけでテンション上がっちゃう。
当時分裂していたイタリア(中世イタリアはもうほんとにぐっちゃぐちゃ)を祖国にもつマキャベリの、
「何で俺の国は、こうなんだ?どうあればいいんだ?」
っていう疑問を、ひたすら徹底的に分析した本。
当時のイタリアがどんだけぐっちゃぐっちゃか、ってのは、
イタリア戦争がスペインフランスの戦争だった、ってのでもわかる。
え?イタリアで起きてるのに、なんでイタリア関係ないの?
って感じだけど、当時イタリアはもうぐっちゃぐっちゃで他国の介入受けまくり。
そして、他国が攻め入ってきても、対抗できる力がなかった。
どうぞ切り取り下さい状態ってヤツだったのです。
そんな祖国を持つマキャベリの「君主論」には、祖国がもっとよくなって欲しい、っていう、
すごく切実で真摯な願いみたいなものを感じる。
マキャベリの何より格好いいところは、とんでもなく思い入れがあるはずなのに、
感情論に走らず、冷徹なまでに現実を直視し続けたこと。
実際に自分の国を助けたかったからこそ、現実主義的な論陣を張った。
今、マキャべリスト、なんていうと、目的のためなら手段は問わない人、みたいな意味になる。
でも、これはマキャベリの思想とは異なる意味。
目的と手段を分けて、目的は何か、"現実的に"達成するためにはどのような手段が適当か、
冷徹なまでの知性を用いて考えることこそが、マキャベリの思想の根幹で、別に手段を問わなくても良いなんぞひとつもかいてない。
俺は、この人の「現実主義」ほど、現実に何かを為そうとする時に、参考になる考え方はないと思う。
「私は我が魂よりも、我が祖国を愛する」
なんてことを大真面目に言う、劇作家でもあり、いいお父さん、いい旦那でもあったというマキャベリ。
や、本当格好いいなぁ。