勝ち組以外のキャリア教育(日経BP)

http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20080408/152578/
 
メディアで勝ち組・負け組、ってのを本当によく聞きます。流行語みたいなもんだとも思うのですが、報道のされ方どうも違和感があります。(勝ち、負け、ってのも嫌な気分になりますよね)
 
え?じゃいわゆる勝ち組に入れない人、入らない人はどうなんの?っていう疑問があります。
皆が思ってることじゃないのかな、って思うんですけれど、それを地方が具体的にどう対応しているか、の例がこの連載です。
切実で、静かな熱を感じる、ものすごくいい連載だと思いました。
以下引用

 大企業で働くホワイトカラーに象徴される高偏差値エリートを「勝ち組」、それ以外の生き方を「負け組」「落ちこぼれ」と見なす。そんな価値観、心性が一般的になり、子ども、若者もその影響を強く受けるようになっている。しかしそれは、バーチャルなキャリア観にすぎない。キャリア教育の意味、真価は、こうして偏りのある情報で頭でっかちになってしまった子ども、若者に、リアルなキャリア観を育むことにあるはずだ。

 社会全体のパイが拡大する時代が終わり、少子高齢化、雇用環境の変化、格差社会化が進んでいる。教育界の外にある、この状況を踏まえた上で、どう生涯を展望する道を見出すのか。メディアが煽る「勝ち組」に誰もが入れるわけではない。しかしその人の持ち味を生かした等身大のキャリアは必ずどこかにある。そのことを提示できれば、キャリア教育の役割はひとまず果たせたといえるのではないか。

 現実問題として、特に地盤沈下が著しい地方部に目を向けると、多くの子ども、若者が、非常にシビアな課題に直面していることが見えてくる。自分ひとりの人生だけでなく、家族や地域のこれからを背負って生きていく覚悟を迫られているケースも少なくない。キャリア教育は、そんな彼ら彼女らを励ます、地に足のついた幸福を探る足がかりであってほしい。筆者はそんな願いを胸に、地方のキャリア教育の現場に旅立つ。

 
(4)の地元の工場長の方の発言

「誤解される言い方かもしれないけれども……この世に生まれて、誰もが総理大臣や弁護士や医者や大会社の社長になれるわけじゃない。たまたま小さな田舎町に生まれた。家はお金持ちじゃない。勉強はあまり好きじゃない。特別な才能があるわけじゃない。そんな子もたくさんいる。むしろそっちの方が多数派でしょう」
 
「日本が右肩上がりの時代にはなんとかなった。そんな連中も、本人なりに頑張れば幸せになれた。でもこれからはそんなに甘くない。誰かが、彼ら彼女らの幸せな人生を真剣に考えなくちゃ。そのための教育が必要なんじゃないですか。ところがいまの教育論は、肝心のそこを忘れているんじゃないか」